私たちのふたば保育園では、毎週、水曜日の午前中の活動として、野外保育を組んでいます。園から出て近くの野山、河原、公園で身近な自然のなかで遊ぶ活動です。普通は、園外保育といいますが、あえて、「野外保育」と呼ぶのは、より自然を意識して活動しようとする気持ちを表したものです。

1日(水)も秋空のもと、年長児のきりん組、ぱんだ組が海岸近くの中町公園にドングリひろいとバッタ捕りにでかけました。このところの冷え込みのせいでしょうかバッタは一匹もいなかったそうです。
一方、ドングリの方は大収穫でした。ビニル袋がはち切れそうで、保育園までもってくるのがたいへんだったようです。誇らしげに大きな袋を見せにきた子に、「大きなドングリだね。」と声をかけると、「マテバシイのドングリだよ。」の声が返ってきました。先生と持っていった図鑑で調べたのだそうです。先生に聞いた話では、子どもたちが、ドングリがたくさん落ちているのを見つけ、どうして、ここにこんなにあるのかなと疑問を持ったのだそうです。次に、そこにある木にドングリの実がなっているのに気づき、歓声を挙げたのだそうです。
大人にとっては当たり前のように思われることでも、子どもたちには「大発見」ということがしばしばあります。「この木から実が落ちてここにあるのだ。」という物事の因果関係を掴むうえでもとても大切なことだと思います。自然と触れ合うなかで楽しみながら、自然界の「きまり」や「しくみ」を学んでいくのですね。
ドングリ(団栗)と呼ばれる木の実はたくさんの種類があります。葉の形、実の大きさ、形からマテバシイのドングリとすぐに調べたのも、素晴らしいと思います。ところで、どうしてドングリを見つけると子どもたちはこんなにたくさんの実を競って集めるのでしょう。
ドングリの袋を見て考えました。初めて気づいたのですが、ひょっとすると、私たちの祖先がドングリを主食にしていた縄文時代の習慣が、私たちの体の中に残っているのかも知れません? 私たちの子どもの頃には、「ドングリを食べると吃りになる」と大人から言われていて、それを信じて生では食べませんでした。
でも、一度だけ食べたことがあるのです。終戦の直後の食べるものが一番困った時、チャレンジ精神の旺盛だった私の母は、ドングリもアクを抜けば食べられると、流水に浸けておいたドングリを石臼で粉に引き、それに水を加えて蒸かし、餅のような団子を作り上げました。薄焦げ茶色のドングリ餅?を今でも鮮烈に覚えているのは、アクが残っていて空腹の少年でも飲み込むことは到底できなかったからです。あれから、半世紀もたちましたが、私も挑戦してみようかな!と思います。アクを抜く方法をどなたか教えてくれませんか。 |